2021年9月18日の19:00から放送される「世界一受けたい授業」で、東京オリンピック2021にて女子バスケットボール日本代表を銀メダルに導いたトム・ホーバス監督が出演されます!バスケットボールという日本人には身体的ビハインドの大きいスポーツで、世界2位という偉業をなしたホーバス監督の采配。
今回はそんな日本の女子バスケットボールチームの監督を務めてきたホーバス監督の、金言ともいえる3つの名言からまずは紹介していきます!またそれに加えて、監督自身のプロフィールに現役時代からの経歴、奥さんや子供の情報についても触れていきますね!
この記事でわかること
- トム・ホーバス監督の3つの名言
- トム・ホーバス監督のプロフィールと経歴
- トム・ホーバス監督の奥さんとのなれそめ
トム・ホーバス監督の3つの名言!流行語候補?
トム・ホーバス監督の印象は「怖い」というイメージが強いですが、女子バスケ日本代表のメンバーからは「トムさん」という愛称で非常に慕われています。それもホーバス監督が通訳を使わず、自身の口で自身の感情を込めながら熱く伝えることによるものが大きいと感じます。
ホーバス監督の口から発せられる言葉の一つ一つが既に熱々な言葉なわけですが、その中でも選手たちを始め、多くの日本人の心を動かしたトム・ホーバス監督の名言を3つご紹介しましょう!
トム・ホーバス監督:3つの名言
- 「誰かのためでなく、自分のためのオリンピックを戦いなさい」
- 「4年後、五輪決勝でアメリカと対戦し、金メダルを獲る」
- 「このチームにスーパースターはいないけどスーパーチームだよ」
それぞれエピソードを交えて解説をしていくことにしましょう!
トム・ホーバス監督名言①:自分のために・・
これは2021年の「東京オリンピック2020」の時に、ホーバス監督が選手たちによく言っていた言葉です。ホーバス監督の準備した練習は非常に厳しいもので、そのお蔭で選手たちは「どこの国より長く厳しい練習をしてきた」という自身に繋がりました。
用意した練習プランが厳しいものであることは、ホーバス監督自身もよく知っていたはずです。それだけの苦しい戦いを乗り越えて挑むオリンピックなんだから「自分のためにがんばったっていいじゃないか!」という想いがあったのでしょう。
この言葉を選手の1人である本橋菜子選手は「チームのために、自分の役割を徹底すること、自分をどれだけ信じてやり抜けるかを学んだ。私以上に私のことを信頼してくれた」とホーバス監督に感謝の気持ちを表していました。
トム・ホーバス監督名言②:4年後は・・
この言葉がホーバス監督の口から発せられたのが、5年前。女子バスケットボール日本代表がリオオリンピックでベスト8に終わったときのことです。この時、ホーバス監督は、アシスタントコーチとして指導に携わっていました。
きっと「あと一歩だった」という悔しい気持ちと、「世界に通用する」という自身をこのリオオリンピックで掴んだのでしょう。その二つの気持ちから次の大会では必ず「金メダルを獲る」という決意を述べたのです。
もちろんこれで4年後の五輪で初戦敗退・・などの成績で終わっていたとしたらこの言葉は名言などにはなりません。ただの大ほら吹きに言葉であったと誰の心に残ることもないでしょう。しかし4年後・・日本は本当に決勝でアメリカと対戦することになったのです!まさに有言実行!結果は惜しくも敗退してしまいましたが、ホーバス監督のこの5年前の言葉が言霊となって、ここまで引っ張ってくれていたとしたら・・この言葉は「金言」であるといえるでしょう!
トム・ホーバス監督名言③:このチームは・・
この言葉はもう有名過ぎるので、あなたも知っているかもしれませんね!今回の東京オリンピック2020で女子バスケットボール日本代表が見事に銀メダルを獲得したときに、ホーバス監督の口からでた言葉です。
トムホーバス監督は言った…
『このチームにスーパースターはいないけどスーパーチームだよ』
選手、スタッフ、そしてファンのみんな含めスーパーチーム!!#スーパーチーム#流行語でいいんじゃないか pic.twitter.com/KJBEqAOdiz
— Maki Takada (@Takada08) August 13, 2021
この言葉に、苦しい練習に耐えてきた選手達はどれだけ救われたことでしょうね。ホーバス監督は本当に選手のことを想ってくれていたんだなと思います。そしてこの気持ちが、さらに拡大して日本全土を感動させたのです。
確かに日本人一人ひとりのバスケットボールの技術は、世界目線でいえばそう高いものではないでしょう。しかしその身体的能力のビハインドを帳消しにするチームワークで世界2位という成績を残すことができたのです。その潜在能力をうまく引き出してくれたホーバス監督。まさに名監督といえるでしょう!
トム・ホーバス監督のWikiプロフィール
こんな記事も出てたのかぁ。
WNBAのHCという願望はもう少ししまってもらって、あと3年は力を何卒お貸し頂きたく、お願い奉り候。https://t.co/mWvPfR6ZMX
— すぴ。 (Speedy) – Keep Smile, Stay Positive! (@speedysjp) September 7, 2021
名前 | トム・ホバース |
英語 | Tom Hovasse |
生年月日 | 1967年1月31日 |
年齢 | 54歳 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身 | コロラド州デュランゴ |
身長 | 203cm(現役時代) |
体重 | 95kg(現役時代) |
大学 | ペンシルベニア州立大学 |
トム・ホーバス監督はアメリカの国籍を置く、身長2m越えの大柄な男性です。ただ日本での滞在期間は長く結構流暢に日本語を話すことができます。ホーバス監督の中では「多少の間違いがあっても自分の言葉で伝える方がインパクトがある」という理念のもと、日本の女子バスケットボールチームの選手を指導する際や、マスコミに対する対応などは自身の言葉で対応するようにしていましたね。
また、ホーバス監督は既婚者であり、そのお相手である奥さんの名前は「エイコ」さん。ホーバス監督が現役時代に、日本に初めてきてトヨタ自動車に所属したときに、六本木のモータウンバーでエイコさんに一目ぼれ。その勢いでナンパをしたことがきっかけだそうですよ。しゃべくり007で話してました。笑 ちなみにお子さんは、男の子と女の子が一人ずついるようですね。
トム・ホーバス監督の経歴
そんなトム・ホーバスさんですが、現役時代はどんなバスケットボールプレイヤーだったのでしょうか。また、そんな指導者としての実績はいかがなものであったのでしょうか。箇条書きでまとめてみましたので、ご覧ください。
トム・ホーバス監督の経歴(現役選手編)
まずはホーバス監督自身がバスケットバールの選手として活躍していた時代の経歴から追ってみることにしましょう!
トム・ホーバス監督の経歴(現役時代編)
1989 | スポーティングクラブ(ポルトガル) |
1990 | トヨタ自動車 |
1994 | アトランタ・ホークス(NBA) |
1995 | ピッツバーグ・ピラニアズ(CBA) |
2000 | トヨタ→東芝レッドサンダース |
日本で初めてプレーをしたのは1990年のトヨタ自動車でした。当時は4年連続の日本リーグ得点王や、2年連続の3ポイント王を獲得するなどまさに大活躍していました。
その後はNBAのアトランタ・ホークスに移籍2試合に出場、独立リーグ(CBA)のピッツバーグ・ピラニアズを経て、2000年にまたトヨタ自動車に復帰します。そして、東芝レッドサンダース(現川崎ブレイブサンダース)へ移籍後1シーズンプレーをして現役を退きます。
なお、現役時代活躍していたポジションは主にスモールフォワード(SF)。スモールフォワードとは基本的にアウトサイドを中心に活躍する攻めの選手で、スリーポイントシュートを積極的に狙っていくタイプの選手です。日本を代表するバスケのコミック「スラムダンク」でいえば三井寿のポジションということになりますね。
トム・ホーバス監督の経歴(指導者編)
バスケットボールの現役を退いた後は、どのような経緯を踏んで日本の女子バスケットボールの監督に就任したのでしょうか。
トム・ホーバス監督の経歴(指導者)
2010 | JX-ENEOSサンフラワーズ |
2011 | 女子日本代表アシスタントコーチ |
2012 | WNBAのフェニックス・マーキュリー |
2014 | JX-ENEOSアソシエイトヘッドコーチ(AHC)昇格 女子日本代表のアシスタントコーチ |
2016 | JX-ENEOSのヘッドコーチに昇格 |
2017 | 女子日本代表ヘッドコーチに就任 |
こうした確認をしてみると、実際に指導者としての立場だとほぼ日本の女子チームを指導し続けていることがわかります。一度2012年にアメリカのフェニックス・マーキュリーのボランティア・アシスタントコーチを務めますが、それ以外には日本で活躍していますね。
トム・ホーバス監督は現役を退いたのが2001年。日本のJX-ENEOSサンフラワーズからコーチのオファーがきたのが2010年。実にその間には9年間ものブランクがあるわけですが、その間はアメリカにて一般企業に勤めるかたわら、高校生にバスケットボールの指導をしていました。
2011年の頃は中川文一ヘッドコーチの元、2014年には内海知秀ヘッドコーチの元でアシスタントコーチを務めていました。そして2016年には自身がJX-ENEOSサンフラワーズのヘッドコーチに就任するわけですが、そこでWリーグ2016-17シーズンの「コーチ・オブ・ザ・イヤー」を受賞するのです。ちなみに、外国人が女子日本代表の監督を務めるのは史上初の出来事でした。
JX-ENEOSアシスタントコーチ時代の功績としては「Wリーグ、オールジャパン優勝」があり、女子日本代表のアシスタントコーチ時代には「アジア選手権優勝」などの成績を残しています。
日本女子のヘッドコーチに就任後は次のような成績をのこしています。
- FIBA女子アジアカップで2017年大会と2019年大会で優勝
- 2018年のワールドカップ・スペイン大会で9位。
- 2021年7月開幕の東京オリンピックでも指揮を執り、日本史上初の銀メダル獲得に導いた。
いずれも輝かしい成績ですよね。まだまだ日本女子代表は強くなります。でもそれには・・ホーバス監督にもまだ力を貸してほしいですね!まだアメリカに帰らないでー。
まとめ
今回は女子バスケットボール日本代表のトム・ホーバス監督に焦点をあててお届けしましたがいかがでしたでしょうか!流行語大賞もめざせる名言をもう一度おさらいしておきましょう。
トム・ホーバス監督:3つの名言
- 「誰かのためでなく、自分のためのオリンピックを戦いなさい」
- 「4年後、五輪決勝でアメリカと対戦し、金メダルを獲る」
- 「このチームにスーパースターはいないけどスーパーチームだよ」
ホーバス監督の言葉には本当に熱い気持ちが込められているからこそ、この言葉ひとつひとつに意味を成すのででしょうね。そんな熱い男だからこそ、異国の女性を一目ぼれでナンパしちゃうわけで・・。笑