小林鷹之の秘書がアパホテルで不祥事?大学時代の留年の理由も調査!

政治家

2021年に発足した岸田内閣にて、その経済安保担当大臣に任命されたのが小林鷹之(こばやし たかゆき)です。46歳の若手議員でその顔はイケメンそのもの!

今回はそんな要注目の若手議員である小林鷹之氏の秘書がアパホテルで不祥事をおこしていたということの真相と、高身長でイケメンながら大学時代に留年を経験してしまった小林鷹之氏のやむを得ない事情について調査しました!

小林鷹之氏の元秘書が起こしたアパホテル不祥事とは何?

今現在小林鷹之氏の元で働いている秘書より前の人になるのですが、その方は一度不祥事をおこして逮捕されているという噂があります。

こちらのツイッターの内容ですが、前文の小林鷹之氏に関する文章は正しいですね。そのため後半の文章(秘書の窃盗)に対する信憑性もわりと高めであるといえます。

この話では2015年に当時小林鷹之氏の秘書だった方が、アパホテルに泊まった際に備品を大量に持ち返って逮捕されたと。そしてそれを知っていながらも小林鷹之氏は2年に渡りその秘書を働かせていたということになります。

これだけ読むと「秘書のいたずらが過ぎてしまったのかな」とも思いますが、そもそもホテルの備品をもらって帰っただけで捕まるものなのでしょうか。念のため刑法を調べてみたら、やはり下記「刑法235条」に触れるみたいですね。

刑法235条「他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。

つまりホテルの所有物である備品を持ち返ってしまうという行為は、窃盗にあたる可能性があるということですね。しかしそれより以前の段階で、ホテル側から返還の要求や、損害請求を立てることで解決することも多いのですが。今回の小林鷹之氏のケースに関しては、運悪く刑事的解決手段になってしまったということですかね。どのくらい持ち返ってしまったのかは分かりませんが・・。笑

小林鷹之氏の今の秘書はどんな人?まさか結婚している妻?

まずは小林鷹之さんの今の秘書についてお話しをしたいと思います。こちらのツイッターをご覧ください。

こちらの通り、イケメンでかつ高身長の小林鷹之氏は仕事熱心で有名です。「仕事人過ぎて今の秘書以外ついていけないほど」とあります。それだけ小林鷹之氏を密着して動いているのであれば、『ひょっとして、小林鷹之氏の秘書って結婚している妻(奥さん)なのではないか』という噂が飛び出しても不思議ではありませんよね。先ほどのような元秘書に不祥事があったとあれば、妻である奥様が出てくる可能性もあるのかなとも。

そして奥さんについても少し調べてみました。そのお名前までは分からなかったのですが、現在就かれている職業はなんと「弁護士」であるということです。弁護士をしながら議員である旦那の秘書を務めるなんて、到底できません。つまり「小林鷹之氏の秘書は妻ではない」ということです。

ちなみにこんなツイッターもありました。

文中から察するに小林鷹之氏の直電の電話番号を知っているようなので、かなり小林鷹之氏と近い存在の方だと想定できます。小林鷹之氏の初入閣が決定したお祝いのことばを、秘書の方に連絡したということですね。内容からもこの秘書のかたが奥さんではないことが何となく想像できます。

奥さんではないにせよ、今の秘書は、若く仕事熱心でアクティブに動く小林鷹之氏についていくのは大変ですよね!岸田内閣に入閣も決まり、これから更に忙しくなることが予想されますが、小林鷹之氏をしっかりとサポートしていってもらいたいものですね。

小林鷹之氏が東京大学時代に留年した本当の理由とは

今では天才と称されることもある小林鷹之氏ですが、東京大学に入る前には1年間浪人を経験し、東京大学に入ってからは4年生のときに一度留年もしています。超エリートの開成高校に通っていたとはいえ、天下の東京大学に入るために浪人することは珍しいことではありません。ただ留年となると・・どんな理由が考えられるのでしょうか。考えられるのは次の2つです。

小林鷹之氏の大学時代/留年の理由①:妻とも出会い、イケメン過ぎて遊ぶのに忙しかった

小林鷹之氏は40歳を超えた今でも高身長でイケメンでさわやかで・・それでいて議員さんだなんて誰もがうらやむ存在ですよね。だとしたら20代そこそこの若いころはさぞかし女性からモテだでしょうね。

実は小林鷹之氏と今の妻(奥さん)と出会ったのが大学1年生のときになります。1994年になりますかね、お互いが19歳のときに出会い付き合い始めるのです。当時は小林鷹之氏は東京大学教養学部(文科Ⅰ類)、妻(奥さん)は法学部に所属していました。仲睦まじく愛を育んできたことでしょうが、実は小林鷹之氏ボート部に所属。それに対する力のいれようは、今の選挙活動なみの熱量の濃さだったようです。4年生のときにはボート部の主将を務めるほどに。そんなこんな妻(奥さん)とは月2回しか会えない程だったといいます。

結果として2006年11月に2人は結婚までゴールインします。付き合った当時は1994年なので結婚まで12年かかったということになりますね。しっかりとお互いを把握したうえでの結婚になったのでしょう。

そうしたわけなので、小林鷹之氏はイケメンな上に彼女もいる、ボート部は忙しい。もちろん勉強もしていたと思いますが、様々なことに本当に忙しかったことが予想されます。そのため、勉強が追い付かず留年してしまったのでは?といった見解です。もちろんマイナスの意味合いではなく、やりたいことが多すぎた小林鷹之氏にとっては必要な1年であったのかなという感じ。

小林鷹之氏の大学時代/留年の理由②:転学部による影響の可能性

小林鷹之氏が東京大学で留年したもうひとつの理由として考えられるのは、転学部による影響です。小林鷹之氏は1994年に入学して1999年に卒業しているわけですが、その5年間のうちに「教養学部から法学部に転学部」している可能性が高いのです。

Wikipediaで確認しても、入学が教養学部で卒業するときには法学部に変わっているので間違いないでしょう。つまりその転学部に関する手続きで手間取ってしまったなどが考えられるわけです。

そこで東京大学の規則なるものを確認してみました。すると・・次のような条件を発見しました。

第4章 進学及び入学
(進学必要科目)
第19条 教養学部より本学部に進学すべき学生は、本学部教授会の議を経て別に定める科目を履修し、その試験に合格しなければならない。
(進学者)
第20条 教養学部に所定の期間在学し、本学部への進学を志望する者は、教授会の議を経て定める基準と方法により選考して本学部に進学せしめるものとする。
(転学部)
第28条 本学後期課程の学生で本学部への転学部を志願するものについては、学部通則第10条に基づき、教授会の議を経て、転学部を認めることができる。
2 前項に定めるもののほか、転学部の取扱いに関し必要な事項は、教授会の議を経て別に定める。
引用元:東京大学規則より

これらの条件のうち、当時の小林鷹之氏がどれにあてはまるのかは微妙なところですが、進学者扱いであれば「本学部教授会の議を経て別に定める科目を履修し、その試験に合格しなければならない」とあったり、転学部だとしても「教授会の議を経て」という条件があります。

こうした部分が引っかかって1年留年せざるを得ない状況になってしまった。ということも十分に考えられるわけです。必要な履修科目が足りなかったとか、不運にも試験に落ちてしまったとか、教授会の儀で時間がかかってしまったとかですね。

しかし法学部に転部したからこそ、今の政治家である小林鷹之氏がいることを考えればこれはこれで必要な期間だったわけです。

でもなんで法学部の転部したんでしょうか?普通に政治家を目指すことにしたからなのか、妻(奥さん)が法学部だったからなのか、それともまた別の理由があったからなのか。そちらの方が気になりますね。

まとめ

今回は岸田総理の新内閣で初入閣となった、小林鷹之氏の秘書のお話しや、大学当時に留年となった理由などについてお伝えをしていきました。政治家になるには色々あるんですね、やはり大変な世界です。

しかし今回の初入閣を封切りに、小林鷹之氏の活躍が表舞台で確認することができます。忙しくなると思いますが、妻(奥様)と秘書とサポートしあいながらがんばってもらいたいですね!