日本を代表する名脇役ともいえる女優の桜むつ子(さくらむつこ)さん。今は既に亡くなられていますが、その色気と女優魂に多くの男性の心を掴んできました。今回はそんな桜むつ子さんのWiki風プロフィールに加え、出身小学校などの学歴情報と経歴について調査しました!また、桜むつ子さんの結婚情報に家族構成(夫・子供・孫)についても触れていきます!
桜むつ子さんのWikiプロフィールと女優としての学歴経歴
2月15日は、桜むつ子さんの生誕日。飲み屋のおかみさんやマダム役が、ホントにしっくりきますね!容姿や立ち居振舞いが小粋で素敵でした。(小津安二郎監督作品『秋日和』『彼岸花』『東京暮色』『東京物語』より) pic.twitter.com/Xeiu2pA0WE
— markdad (@markdad139) February 15, 2019
桜むつ子さんはという名前は芸名であり、本名は佐藤文子さんと言います。そんな彼女の出身小学校などの学歴情報やその他基本情報をWikiプロフィールにてまとめてみました。
桜むつ子さんのWikiプロフィール
名前 | 桜むつ子 |
本名 | 佐藤文子 |
生年月日 | 1921年2月15日 |
没年月日 | 2005年1月23日 |
年齢 | 享年83歳 |
出身 | 東京都文京区 |
小学 | 大塚尋常小学校 |
職業 | 女優 |
最終所属 | エトワアル |
血液型 | O型 |
配偶者 | あり |
趣味 | ゴルフ |
桜むつ子さんは1921年2月15日生まれ。肺ガンが原因で2005年1月23日に83歳というご年齢でこの世を去りました。元は東京都文京区の出身であり、現在廃校になっている大塚尋常小学校を卒業します。その後1933年に松旭斎天勝の一座に入座し「松旭斎文子」という名前を貰い自身の芸能活動をスタートさせます。踊りの才能の開花が目覚ましく、後に永井荷風からも愛される「浅草軽演劇の花形女優」として多くの方を魅了するようになるのです。
その後1950年には松竹へ入社をします。そこでは日本を代表する映画監督である小津安二郎監督に認められ、庶民的ながらもどこか色気を纏った名脇役として多くの作品に登場します(ほぼ毎回飲み屋の女主人という役割)。また、永井荷風さんを敬愛していた小津安二郎監督は、撮影の合間に永井荷風さんの話を聞きたがったというのは有名な話です。
晩年ではこんな腰の折れたおばあちゃん役を演じるほどですからね、その女優としてのスキルには頭が下がる思いです。
『村の写真集』
昭和の名優たちが逝くなか、佇まいで語れる役者がここにいる。
語らずとも伝わってくる老カメラマンの故郷への想い。
人生最後の写真を撮り終えたときの照れた笑顔はこの老俳優だけのものだ。徳島県の自然
桜むつ子のお婆ちゃん
郷愁誘う小椋佳のエンディング
しみじみと心に残る名作 pic.twitter.com/p1IMZIf2cx— yoshi (@yoshiyabukogi) May 23, 2021
桜むつ子さんの出身小学校:大塚尋常小学校
桜むつ子さんが実際に卒業された「大塚尋常小学校」について詳しくみていきましょう。
桜むつ子さんの出身高校の情報
高校名 | 大塚尋常小学校(廃校) 現:文京区立大塚小学校 |
住所 | 東京都文京区大塚4丁目1−7 |
電話 | 03-3946-3421 |
地図:Goole MAP
桜むつ子さんが通っていた「東京市立大塚尋常小学校」は、大正9年に開校されましたが、その後昭和20年に空襲により校舎が全焼し廃校となりました。ただその9年後となる昭和29年に、現在の文京区立大塚小学校として生まれ変わったのです。現在は「歴史と伝統のある学校」として多くの生徒の指導教育にあたっています。
桜むつ子さんの結婚情報と家族構成(夫・子供・孫)
映画「東京物語」
十朱久雄 笠智衆 東野英治郎 桜むつ子 pic.twitter.com/1tK1WKMZBw— Saagarsaagar (@Saagarsaagar2) September 13, 2020
桜むつ子さんのプロフィール情報を調べてみると、「配偶者:あり」という情報まで行きつくことができます。つまりは『結婚をしている』ということになるわけですが、ここから先がまったくのシークレットとなっています。
夫である旦那さんの情報もなければ、生まれているかもしれない子供や孫の情報に関してもまったく世に公開されていません。永井荷風さんや小津安二郎監督といった大物から好意を寄せられていたという桜むつ子さんだけに、世の男が放っておくわけがありませんよね。家族構成に関しては、詳細な情報が紹介されましたら更新をいたします。
桜むつ子さんと永井荷風との関係は?
【月末、荷風忌】鶏卵紙にプリントされたオリジナル。荷風散人なにが嬉しいのか随分と上機嫌ですね。撮影場所は浅草にあった大都劇場の楽屋で荷風を挟んで桜むつ子、高杉由美かしら。荷風がいる楽屋写真はよく見かけますが舞台化粧のままの看板女優さんと並んだ写真だから素敵ですよね! pic.twitter.com/JyhCPGDhhF
— 舎弟の嘆き (@gokumarenano) April 24, 2020
桜むつ子さんと永井荷風さんは実は付き合っていて、夫婦関係にあった・・!というわけではなくてですが、どうやら永井荷風さんは、自身の晩年の頃に、桜むつ子さんに一方的に好意を寄せていたということのようです。
永井荷風さんが亡くなられたのは1959年(79歳)のことですからね、この当時桜むつ子さんは38歳であったというわけです。かなりの年齢の開きがあったようですね。ただこの永井荷風さんは大物であっただけに女性にはモテモテ、そしてさらには大の女ったらしであったという噂もあります。そのためこんな記事も当時出回っていました。
浅草と荷風シリーズ。
昭和25年の内外タイムスの記事「彼をめぐる五人の女」。 五人とは、戦前のオペラ館と戦後の常盤座に居た高清子、常盤座に居た桜むつ子、大都劇場に居た高杉由美、ロック座に居た津田紅子と柳登世。 ちなみに彼女たちは女優か普通ショーの踊り子であり、ストリッパーではない。 pic.twitter.com/Zwyss0K7y4— 西条昇の浅草エンタメ散歩 (@saijoasakusa) December 31, 2017
桜むつ子さん自身が永井荷風さんに好意があったかどうは分かりませんが、永井荷風さんの作品にも登場していますので、尊敬の念は少なからずあったであろうといったことが予想されます。
まとめ
今回は、桜むつ子さんのWikiプロフィールやその女優経歴に加え、結婚や家族についての情報をお伝えしました。名脇役として、晩年まで活躍してた彼女の女優魂は凄まじいものがありました。来世に生まれ変わっても、きっと役者さんを続けていくのではないでしょうか。それだけ偉大な女優さんでした!