2021年11月21日(日)の14:00~放送の「ザ・ノンフィクション」で、2011年に亡くなられた落語界の巨匠である「立川談志(たてかわだんし)」さんの最期を撮影した貴重な映像が放送されます。
落語ファンもそうでない方も必見の内容となっています。今回はそんな立川談志さんのWiki風プロフィールから出身高校などの学歴や落語の経歴に加え、支えてきた家族(嫁・子供(息子/娘)・兄弟)を紹介していきます!
立川談志さんの家族構成(親・嫁・子供(息子/娘)・弟)
ザ・ノンフィクション「切なくて いじらしくて メチャクチャなパパ~家族が映した最期の立川談志~」(フジテレビ公式)
2021年11月21日(日) 14時~
「約750本・1000時間・12年にわたり撮影された映像を初めて公開」
(2021/11/17)#立川談志#ザ・ノンフィクションhttps://t.co/6I5gqYcwmN pic.twitter.com/bCApFBL70R
— Music info Clip (音楽ブログ) (@Music_info_Clip) November 17, 2021
立川談志さんの周りには常に自身を支えてくれる大事な家族がいました。まさに家族なくしては、立川談志の成功は成しえなかったことでしょう。それでは立川談志さんの家族構成と各人の情報を載せていくことにしましょう。
立川談志さんの家族構成
立川談志さんの家族構成をまとめると次のようになります!
続柄 | 名前 |
本人 | 立川談志(松岡克由) |
嫁(妻) | 松岡則子 |
子供(息子) | 松岡慎太郎 |
子供(娘) | 松岡弓子 |
弟 | 松岡由雄 |
立川談志さんは嫁さんである松岡則子さんとの間に2人の子供を授かっています。息子の長男は松岡慎太郎さん、娘の長女は松岡弓子さんです。つまり家族構成は嫁さんと子供2人の4人家族であったことが分かります。あとは立川談志さんには弟さんがいたことも分かっています。
立川談志の嫁(妻):松岡則子さん
立川談志さんの嫁さんの名前は「松岡則子(まつおかのりこ)」さんと言います。この則子さんとの結婚エピソードだけとっても普通ではないのが、立川談志さんの逸話。
実は立川談志さんと出会う以前に、則子さんには婚約者がいました。ただそんなことはお構いなし!ということで、則子さんは立川談志さんからの猛アタックで口説き落とされて、結局婚約者とは別れて立川談志さんと結婚する道を選んだというわけです!さすがは・・談志師匠!!
立川談志の子供(息子):松岡慎太郎さん
山下達郎さんと立川談志師匠の共通点とは?
山下達郎さんの中野サンプラザにお友達の立川談志師匠のご長男で談志役場代表の松岡慎太郎さんと同行。これが最近の恒例になっておりまして、前回は松岡さんのお姉さんもご一緒にhttps://t.co/cz9oFEKHom pic.twitter.com/dVYnaLzCnv— 植竹公和 (@kimikazu5uetake) July 8, 2017
立川談志さんには2人の子供がいますが、男の子である息子さんの名前が「松岡慎太郎(まつおかしんたろう)」さんといいます。テレビで放送される「ザ・ノンフィクション」では、立川談志さんの最期12年間に密着をしていますが、その撮影された映像を撮っていたのが、主に松岡慎太郎さんなのです。
松岡慎太郎さんは、立川談志さんのマネージャーをしていました。またそれだけではなく、所属事務所・有限会社「談志役場」社長をも務めてきました。またこの「談志役場」は立川談志さんが亡くなられた後も継続して営業をしており、Twitterやインスタグラムなどで情報を発信し続けています。たとえばTwitterでの発信はこちらのような感じですね。
家元談志師匠のご逝去から十年。その十年前に入門した同期四人が集います。明日21(日)家元御命日のその夜、お江戸上野広小路亭にて。ご予約は20(土)24時まで。寸志へリプDMでもOK。当日4人の誰かの「ツイッター見た」でご予約料金に。お席まだまだ、あなたもぜひぜひ。四席+トークたっぷり。#落語 pic.twitter.com/ibhM99Iq75
— 立川寸志【告知&報告+雑談】 (@tatekawasunshi) November 19, 2021
立川談志の子供(娘):松岡弓子さん
読売新聞16面の「ケアノート」に松岡弓子さんが登場。父・立川談志との最後の日々を語っています。リンクは昨年末発売の『ザッツ・ア・プレンティー』 http://t.co/rpwQ8c5y pic.twitter.com/jmxCIHeI
— 亜紀書房 (@akishobo) August 12, 2012
立川談志さんには2人の子供のうち、女の子である娘さんの名前が「松岡弓子(まつおかゆみこ)」さんといいます。東京都中央区銀座のクラブを所有者しています。
立川談志さんがご存命のときは「松岡まこと」という名前でタレント活動をしていましたがその後引退をします。ところが立川談志さんが亡くなられてから、松岡弓子さんは「松岡ゆみこ」という名前でタレント活動を再開するのです。自身のYoutubeチャンネルを持つほどで、談志師匠のマインドを受け継いで芸能界で活躍しています。松岡弓子さんの芸の中にはたくさんの立川談志さんが登場します。
また松岡弓子さんは書籍本を出版しています。2011年12月に刊行された『ザッツ・ア・プレンティー』という本で、その本の中では2011年3月に気道切開手術を受けてから亡くなるまでの立川談志さんの姿が描かれています。「ザ・ノンフィクション」の番組とあわせて読んで頂けると理解が深まると思いますよ。
立川談志の兄弟(弟):松岡由雄さん
立川談志さんには兄弟がいます。弟の松岡由雄(まつおかよしお)さんがその人で「まむしプロダクション」でマネージャーを務めた後、立川企画で社長をしていた人物です。立川談志さんが亡くなられたあと、後を追うように2016年10月8日にこの世を去っています。
立川談志さんの学歴(中学高校)とWikiプロフィール情報
よく覚えとけ、現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいといったところで仕方ない。現実は事実だ。#立川談志(落語家)pic.twitter.com/ImvLZol8NM
— 今日の名言 (@kymgn_) February 19, 2022
まず始めに立川談志さんの本名や学歴(中学・高校)の他、生年月日などの情報を、Wikiプロフィールにてこまかく見ていくことにしましょう。
名前 | 立川談志 |
よみ | たてかわだんし |
本名 | 松岡克由 |
生年月日 | 1936年1月2日 |
没年月日 | 2011年11月21日 |
年齢(享年) | 75歳 |
出身 | 東京都文京区 |
中学 | 調査中(東京中学校?) |
高校 | 東京高等学校(中退) |
師匠 | 5代目柳家小さん |
職業 | 落語家 |
所属 | 落語協会(1952年-1983年) 落語立川流(1983年-2011年) |
立川談志さんは 1936年1月2日に東京都文京区で生まれ、75歳という年齢で2011年11月21日にこの世を去っています。本名は「松岡克由」さんといいますので、活動名の「立川談志」とはかすりもしない名前であったことが分かりますね。
実際に卒業した中学校は東京中学校という噂ですが、こちらが過去に実在した中学校なのかどうか現在はまだ調査中です。高校に関しては「東京高等学校」に入学していたことが分かっています。こちらは途中で中退をしているようですが。さてではこの高校が一体どんな高校で偏差値がいくつ位なのかといった部分を調査してみることにします。
立川談志さんの出身高校:東京高等学校
立川談志さんが実際に入学して通っていた「東京高等学校」について詳しくみていきましょう。
立川談志さんの出身高校の情報
高校名 | 東京高等学校(中退) |
住所 | 東京都大田区鵜の木2-39-1 |
電話 | 03-3750-2635 |
設立年度 | 1872年 |
偏差値 | 54 |
地図:Goole MAP
立川談志さんの入学された東京高等学校は偏差値が「54」の私立高校です。スポーツが盛んな高校なのでしょう、この高校を卒業した有名人には次のような方がいらっしゃいます。
東京高等学校出身の有名人
・山内雅延(ラグビー選手)
・山本有三(小説家)
・西村美樹(中距離走選手)
・斉藤祐也(ラグビー選手)
・野村佑香(俳優)
・牧伸二(漫談家)
・ケンブリッジ飛鳥(陸上選手)
立川談志さんの落語家としての経歴
それでは立川談志さんがどのような生涯を経てきたのかを時系列に一覧でまとめてみましたので確認をしていきましょう。
立川談志さんの経歴
1952年:16歳で5代目柳家小さんに入門「克由」の一字を取って、柳家小よしと名乗る
1954年:3月、二つ目昇進し柳家小ゑんに改名
1963年:4月、立川談志を襲名し、真打に昇進
1966年:『笑点』(日本テレビ)が放送開始。1969年11月2日まで初代司会者を務める
1969年:第32回衆議院議員総選挙に東京8区から無所属で出馬するも落選
1971年:第9回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で出馬、初当選
1975年:12月26日、三木内閣の沖縄開発政務次官に就任
1983年:落語協会脱退し、落語立川流を創設して家元となる
1997年:食道癌を外科手術により摘出
2008年:10月第7回 サライ大賞授与式で喉頭癌を発病したことを告白
2009年:8月26日、長期休養を発表。予定されていた出演をすべてキャンセルに
2010年:11月に声門癌再発を確認
2011年:3月6日談志にとって生涯最後の高座を行い、11月21日家族に看取られて逝去
2012年:第20回 スポニチ文化芸術大賞 特別賞受賞
重要な部分は赤字で示していますが、立川談志という落語家は、元は現在も放送されている長寿番組である「笑点」の初代司会者でした。そして皆さんご存知の「毒舌」が売りの落語家だったわけです。そのことからも「落語界の風雲児」と評されていたわけですが、これが通常の落語会では受け入れられずに『異端児』という扱い方になってしまいます。そして落語会と袂を分かつ形で自身の「落語立川流」を創設して家元となったのです。
2008年5月、喉にポリープの疑いがあると診断されてからが、まさに立川談志さんの闘病生活の始まりとなりました。落語家の命ともいえる喉から出る声も出づらくなり、癌の発病箇所となった声門の治療のため、声帯を摘出以外に完治することはないという厳しい伝達をうけてしまうのです。翌年からは長期療養に入ります。2011年に最後の高座を行い、数か月後には帰らぬ人となってしまいます。
まさに落語界の異端児であったわけですが、それだけ自分の漫才に対してそして生き方に対して自信をもっていたということになります。落語界だけでなく、政界にも精通したその実力は誰しもが認めるところでしょう。これからも立川談志さんの落語は未来へ受け継がれていきます。
最後にひとつ立川談志さんの落語を聴いてみましょう。「真打の大ネタ」と称される「らくだ」という演目です!
まとめ
今回は、2021年11月21日(日)の14:00~放送の「ザ・ノンフィクション」で放送される立川談志さんを取り上げました。落語界の異端児でありながら、お笑い界を牽引してきた立川談志さんのプロフィールや経歴に、家族(嫁・子供(息子/娘)・兄弟)の情報をまとめてきましたが、いかがでしたでしょうか。立川談志さんの残した功績というものは、ものすごく大きかったのではないでしょうか。そのことに本当の意味で気付くのは、まだこれからなのかもしれません!